こんばんは。矢澤です。
先日、「発信」についてのお話で、その発信方法についてこれから書いていく、というお話をしましたが、ちょっと今日思いついたことがあったので先に書いてしまいたいと思います。
先日の吉岡の乳首変色事件しかり若干のシモネタ要素を配合しておりますので、「男の性」と聞いて不快感を感じる方はご遠慮くださいませ。
さて、今日のタイトル、仰々しくもこんな感じにしましたが、これは完全に単なるひき文句ですので、中身を見て残念だった、なんてならないように頑張ります。
あと、内容がゲスいため、文体だけでもせめて取り繕おうと思っておる次第でござ候。
さて、今年の秋は例年になく早々に深まってきました。
夕立の晩夏は遠のき、金木犀がそこはかと香る季節になりました。
|突然の閑話休題・・・
話は早速それますが、金木犀の香りを香水に、とか、金木犀を自宅になんておっしゃる方がいますね。
それはそれでけっこうな話で否定するつもりは毛ほどもございませんが、私個人としては、秋という季節に時折どこからともなく香ってくる金木犀に風情を感じるもので、どうもその香りを手に入れ常としたいと思う気持ちを図りかねるものでございます。
端的に、風情がない。
侘び寂びとはよく言うもので、秋にもの悲しくなる思いを一層掻き立てるのはいつも金木犀の香りや、触れる笹の音、肌寒い風、擦り寄る猫の毛並みがとてもあたたかく感じるものです。
話は戻ります。
|ゆるやかに狂っていく秋の街・・・
秋になると不思議な現象が街では起こります。
夏の間、まるで鳴きつくすセミの如く爛々と肌を露出する女性が目によくとまります。
こんな誠実な文章を書く私でさえ、ご多分に漏れずその光景には目をやってしまうのです。
時にはひらめく衣服の下から(主に階段の下から)お召し物が垣間見える瞬間などございますね。
その刹那に私たち男は、どんな眠く疲れた日にも、目を見張り一瞬の光景を目に焼き付けようと不断の努力をいたしておるのが常でございます。
ところが、やはりこの季節、少し肌寒くなってくると、当然のことながら女性の露出は減る。
季節というのは実に狂おしいもので、ようやく訪れた私たち男の気狂いも、一気にノスタルジーへと変えてしまうのです。
然し、時にはまだその名残を惜しむようにして、折りに触れ垣間見えてしまう瞬間などがございます。
これに関しては私どもとしては誠に嬉しく感謝の意を評したいところなのですが、実は今日、気づいたことが有ります。
垣間見えるたびにふとそのお顔を見るや、夏ほどの可憐さを持ったをとめではない!!
これにはがっくりくる次第であります。
たまたまとは思えど、この季節になって垣間見えるソレの持ち主は、ほとんどの場合において可憐なるをとめではないのです。
なぜでしょう。夏にあれほどまで私たちをのこを興奮の山頂へ連れ出すものが、秋になると途端に絶望の淵へと追いやる。これにはきっと必然性があるのではないかと思ったのです。
|ファッションへの気遣いも多様・・・
時に、みなさんは、ファッションというものに対してどのような気をつかっていらっしゃるでしょうか。
例えば、自己欺瞞を覆い隠す服、逆に自分の良い点を伸ばすファッション、季節に応じた服装、場面に適したお召し物、また独自の路線を貫くスタイル、ココ・シャネルが築きあげた女性としての黒、流行を常に追ったアーバンスタイル、若作り、老成円熟を感じさせるように渋い服装をする若者たち・・・。
いろんな服装があります。
さて、こんな思いつくままに書き連ねてはみましたが、先ほどの例をここに書くのであれば、即物的にに男性を魅了するために取り繕う、季節すらも忘れたワガママ自己中心スタイル、とでも私は定義づけるのであります。
もちろん、ここには全く否定の意味はありません。個人的には嫌い、とそれだけの理由です。
季節感を忘れ、外面だけで対象とする相手を即物的に魅了する、そこはかとなく短絡的で、浅はかな香りがしてきます。
男性は当然のことながら目を運び、ときにはその秘めたる部分が見えてしまうことで興奮を覚えるわけですね。ただし、実情をとらえたときには、全くもって互いに残念な結果を生み出す、というわけです。
これによって不幸となるのは、当然見る側だけではありません。見られたいなどとは思ってもいない私たち不特定多数の変態達の注目を集めてしまうのです。全く意図していない行為なのにもかかわらず、勝手に勘違いした私たちの話題にのぼってしまうのです!
つまるところ何が言いたいのか、やっと本題です。
|季節外れのパンチラじゃ、良質な集客なんてできない!!!
《出典:パンチラ2015》
もうここまでお付き合いいただいた方には何を言っても大丈夫だと思いますので、オブラートを剥がしまくります。
- ブスのパンツ=内容の伴わないキャンペーンや釣り文句(今日の僕のタイトルみたいなものです。)
- 季節感の伴わないパンチラ=時代の流れにそぐわない集客方法
ありもしない文句で短絡的に人を誘い、一瞬は魅了することができます。
しかし、実情が伴わないということは往々にしてあります。めちゃくちゃ期待して行ったはいいが、全く結果が出ない施術、逆効果を与えるメニュー、キャンペーン。
安さにつられてきたのに、突然次回ご予約を求められる、商品を買えと言われる。
残念なトークで次回もこの人に施術してもらいたいと思ってもらえないような店作り、自分のブランディングもできていない。
次につなげようとしても、短絡的に食いついたお客さまにはそんな次への意図などありません。今回限りで終わりなんてことが起きてしまう。更に言えば、営業をかけたら不快に思われてしまう。
- 安さで売りだしたら、来るのは当然安さにつられてくるお客さま。
- パンツにつられて来るのは、当然ながら残念な男たち。
- 安さにつられてきたお客さまに急にオプションを提案したり、商品を販売しようとしても、「営業された!」とか思われるだけ。
- パンツに釣られて下心満載の男にそれ以上のつながりを求めても、「勘違いされた」と思われるだけ。
一瞬で釣られてしまうこの構図はフラッシュマーケティングと同じです。
悪いことではありません。一瞬のつながりを求めることが目的なのであれば、むしろ大成功です。
しかし、残念ながら内情が伴わないのは、施術の内容はもとより、季節感や周りの現状などを無視したものだからです。次にはどうしてもつながっていきません。
こんな例に出していますが、男性でも同じです。
高価なものばかりを身につけているが中身が全く無い人間、自慢話はするが全く中身がない、過去の栄光ばかり語り、《今》がすっぽり抜けている人間。
私自身も人のことを言えるほど高尚な人間ではありませんが、反面教師でもあると思っています。
|まとめ
これらは全て、《中身》に自信がなく、自信をつけるための努力をすることもせず、またはその構図や努力の方向性を知らず、《表面》ばかり取り繕ってしまっている状態です。
店舗でも同じです。キャンペーンや釣り文句やホットペッパーやグルーポン、うまくやればめちゃくちゃ集客ができます。短絡的にお客さまを捕まえることができるけれども、残念ながら中身が整っていないために、全くその先につながらない。
季節感のめぐりや時代の潮流を把握せずに、いつまでも過去の集客方法を実践して結果が出ない状態でもあります。
パンチラで集客をするなんて、短絡的にビラ撒きをするのと同じ。もはやパンチラだけで良質な顧客は得られない。じゃあどうするかと言えば、季節に合わせる、時代に合わせる、そんなことが必要なんです。
- 季節外れのパンチラじゃ、集客なんかできない!
それが今日の結論です。
《中身》に当たる店内導線、メニューやトークスキームの作りこみ、お客さまを絶対に手放さない技術やそれを効果的にお客さまに魅せる、伝える技術。
時代に乗った集客媒体(ホームページやホームページ内ブログ、SNSやそれと連動するチラシショップカードなどなど)の確保や学びや集客手段を知ること。
季節に根ざしたブログ内容やキャンペーンの発信などなど、経営をするのであればやらなければならないことはたくさんあるのです。
感じてください、金木犀を。秋になればその香りに惹かれてくるものを取り込んで、僕らを離さないじゃないですか。自ら情報(香り)を発進して、季節が終われば種を落として春になれば枝を伸ばしているじゃないですか。そういうことを私たちもできたら・・・
この「できたら・・・」をお手伝いするのが私たちの仕事です。
全く先を見通さずに文章を書き始めましたが、すごくこねくりまわしてなんとかうまいことまとめることができましたね。自己満足感が半端じゃ無いです。
たいへん乱雑な文章になってしまい申し訳ありません、最後まで読んでいただきありがとうございました!
さて、最後に・・・お問い合わせはこちらからどうぞ!